私のゲームを遊ぶことに対するモチベーションは以前、「プロゲーマーになること」でした。
確かな憧れを持っていたのは確かですが、諸々の要因でその夢が叶うことはありませんでした。
全盛期に渡米していれば、可能性としてゼロではなかった、のかもしれません(言葉通りのプロゲーマーになる、という意味では)。
ただ、人生を全額投資できなかったのです。
普通の人はそうです。
私もまたその点においては普通の人でした。
私はプロゲーマーになれない、なれたとしてもならない方が得策だ、という現実をはっきりと理解した瞬間、その夢を諦めました。
そして、いまはゲームに関連する仕事をしています。
ゲームのイベント運営・企画、コンサルティング、ライティング、昔に憧れていたものとは異なりますが、仕事としてゲームに関わるという意味では、夢は叶っているのかもしれません。
実際、この業界に骨を埋めたいとも思っています。
あとに残った遊びとしてのゲーム、つまり私のコンペティティブな部分。
仕事としての要素を取っ払ったゲームにどう向き合っていくのか。
考えた末に、私は「プロゲーマーごっこ」をする、という答えに至りました。
プロゲーマーになったつもりで、真剣にゲームをしたりして。
正直、そこに意味はありません。
今まで、ゲームを遊ぶことに意味(金銭を稼ぐ等、もっともらしい理由)がなければいけないと思っていた自分は、どこか普通の感覚の人とズレていたのだと思います。
ゲームは遊びである、遊び方の違いがあるだけ。
この年齢になって、ゲームの遊び方を見つけるという不思議な体験をした、というだけのお話でした。
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